レストランと言う言葉を聞くといつも思い出す場所がある。それは、豪華なレストランでもなく賑やかなレストランでもない。子どもの頃に行った小さなデパートの最上階にあったレストランだ。
■当時は憧れだった銀皿料理
私が子ども時代を過ごしたのは昭和40年代。生まれ育った九州の田舎町も、高度成長期を迎えて賑やかだった。当時、町の中心部には5階建てのデパートがあり、子どもの目から見ると何でも売っている素敵な場所だった。ちなみに、町で一番高い建物もこのデパートだった。
デパートの最上階にはレストランがあったが、ここで食事をしているのはお金持ちそうな家だけで、貧乏ではないもののお金持ちではなかった我が家には縁遠い場所だったと思う。いや、両親の名誉のために言っておくと、3人兄弟を育てている両親としては、無駄使いをせず真面目に暮らしていただけだと思う。
あれは私が幼稚園の頃だっだだろうか。ある日、母親と買い物に行った帰りに、デパートのレストランに入った。どういういきさつでそうなったのかは記憶が定かではないが、憧れのレストランでショーウインドウを覗くところから記憶がある。
記憶の中では、ショーウインドウに並んだ銀皿がキラキラと光っていたことを思い出す。
■頼んだのはスパゲティミートボール
その時に頼んだのはスパゲティミートボールだった。これだけは確かな記憶だと思う。スパゲティミートソースの上にミートボールが乗っていて、皿もフォークもキラキラと輝いていた。
もう一つ確かな記憶は、夢中で食べる私を母が何も食べずにニコニコしながら見ていたこと。躾も含めて割と厳しい母だったので、ニコニコしながら見つめられているとなんだか落ち着かないようなくすぐったいような気分だった。大人になってからそのことを母に訪ねたことがあるが、どうだったかしらねと言う感じであまり良くは覚えていないようだった。
贅沢なことといえばもっと他にもいろいろなことをやってもらったのだと思うが、レストランという言葉を聞くと不思議とその時のことを思い出す。もう40年以上前の出来事だが、今でもスパゲティといえばミートソースを選んでしまうのもそのせいかもしれない。
■食べ物は記憶にリンクする
私の思い出や記憶というと、食べ物とつながっていることが多い。
「カキ氷と夏休み」という組み合わせは一般的だろうが、私は「ラーメンと海の家と夏休み」がつながっている。子どもの頃に海で思い切り泳いだ後に、濡れた髪を潮風に吹かれながら兄と食べた海の家のラーメンの味だ。どれだけ食べ物に執着していたんだよという話だが、逆にラーメンから幼い頃の夏休みを思い出すというのはなんだかすごい。
我が家の一人息子はもう高校生だが、たまに二人で外食する時にはついつい食べている顔をじーっと見入ってしまう。こういう時に、「ああ、子どもが美味しそうに食べる顔を見ると嬉しくなるんだな」ということに気がつく。
そんな時の私の顔は、きっとあの時の母のように笑顔になっているに違いないと思う。