「話してみなければ分からない」というのは、対人関係で良く言われることだ。特に、最近ではメールやSNSでやり取りすることが多いため、「頻繁にやり取りするけれども声を聞いたことがない」という相手も多いのではないだろうか。だからこそ、機会があれば短い時間でも良いので電話で話したり直接会って話をすることは大切だ。何でも簡単に済ませて「タイパ」の良さが良いことと言われがちな昨今だが、AIが日常的に使われていればこそ本人の顔を見て、声色などを知るというのは重要だ。
しかし、なかには「顔を合わせて話をしても真意が良く分からない」という人も一定数いて、そんな時には「良い人なんだろうけれども良く分からない」という印象を持つことが多い。そういった本心が見えにくい人というのは、元々の性格であったり育ってきた環境が影響したりしているのだろうが、「付き合いにくいな」と思われることがある一方で、本人としては「分かってもらえにくい」ということも多々あるのではないだろうか。だからこそ余計に、会って話すということが大切なのかもしれない。

雫井脩介さんが書かれた「クロコダイル・ティアーズ」は、そんな「本心が分かりにくい女性」が主人公の物語だ。タイトルの「クロコダイル・ティアーズ」は、ワニが餌を食べる際に流す涙に由来している言葉。ワニは目を獲物をおびき寄せて食べる際に涙を流すのだそうだが、その様子が「人間をおびき寄せるための嘘の涙」であるという伝承があり、この物語の中でも主人公が流す涙が疑惑を呼ぶということに由来している。
「息子を殺したのは、あの子よ」
「馬鹿を言うな。俺たちは家族じゃないか」
家族小説、サスペンスの名手である雫井脩介による最新長編。
大正時代から続く陶磁器店を営む熟年の貞彦・暁美夫婦は、近くに住む息子夫婦や孫と幸せに暮らしていた。ところが、息子が何者かによって殺害されてしまう。 犯人は、息子の妻・想代子の元交際相手。被告となった男は、裁判で「想代子から『夫殺し』を依頼された」と主張する。 息子を失った暁美は悲しみに暮れていた。遺体と対面したときに、「嘘泣き」をしていた、という周囲の声が耳に届いたこともあり、想代子を疑う。
貞彦は、孫・那由太を陶磁器店の跡継ぎにという願いもあり、母親である想代子を信じたいと願うが……。
犯人のたった一言で、家族の間には疑心暗鬼の闇が広がっていく。 殺人事件に揺れる一家を襲う悲劇。姑である暁美からみて、「何を考えているか分からない」という想代子の真実とは。
相手への思いやりが誤解を招き、良かれと思ったことが裏目に出てしまうということが時々ある。私も何回かそういう場面に遭遇したことがあるが、良かれと思ったことが相手を怒らせたり傷つけたりするのは双方にとって悲劇だろう。そういった悲劇が積もり積もると、思わぬ自体に陥ってしまうということをこの物語を読んで感じた。
誰が真実を語っていて誰が周囲を騙しているのかということを、物語の最後まで何回も繰り返し読者に問いかけてくるこの物語は、読み終わった時になるほどそうだったのかとため息をついてしまうほど人の心の難しさをも感じさせてくれる一冊だった。
