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正義は勝つわけでもなく常に正しいわけでもない(「日本講演新聞」を読んで)

いつも良い気付きをいただく、九州の小さな新聞社の新聞。みやざき中央新聞社が月に2回発行している「日本講演新聞」は、良い話ばかりが集められた見開き4ページの素敵な新聞だが、今回もまた素敵な話に出会った。

正義とは何なのか

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8月24日号の社説に書かれていたのが、「正義の先にある温かいもの」という内容の記事。なかなか考えさせられるとともに、胸に響く内容だった。

社説では、冒頭でコロナ禍における「自粛警察」のことを取り上げ、なぜ人は正義感を持つと暴走するのかということを、脳科学の分析を含めてが書かれている。また、後半では電車の中で携帯電話を使って話すことを「悪」と決めつけることに対して、ある出来事を通じて一つの行動を「正義」「悪」に分けることの難しさと間違いを指摘している。そして最後に、「共感力が穏やかな感情を作り心の密な社会を築くのではないか」と読者に問いかけている。

社説の中で取り上げられているのは「電車内での携帯電話の通話」についてだが、とても胸にしみる素敵なお話だった。「電車内で携帯電話を使って通話することはマナー違反とされているが、危篤状態の父親に電話をかけることはマナー違反ではないよね」という社説での問いかけは、物事を一方向からだけで見てしまうことの過ちも含めて教えられた。

正義は常に正しいわけではない

私は以前務めていた職場で、何かと「正義」を振りかざす人と一緒に働いたことがある。仕事に真面目で一生懸命に働くマネージャーだったのだが、とにかく物事を自分の価値観で「正しい」か「正しくないか」に分けていた。例えば部下が出張時に時間的に効率的なルートを部下が使っても、「会社の規定は安い方を使うようになっているから申請を認めない」と却下。さらに「勝手にルートを変えた」と叱責するという、「そうは言っても」という部分には一切耳を貸さない人だった。

ここまで極端な例は少ないかも知れないが、私も時々「こうあるべきだ」という『正義』を振りかざしてしまうことがある。しかし良く良く考えてみれば、それは私にとっての正しいことであり、生まれた場所や時代によっては正しさが変わってくることもあるだろう。「若い社員は会社に朝早く来て机の上を拭く」などというのも、そういったことの一つだろうと思う。

大切なことは「そうはいっても」ということを受け入れる余裕と、相手の話をまずは聞くという姿勢なのかもしれない。

素敵な新聞はこちら

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冒頭でご紹介した「日本講演新聞」は、私が15年ほど前から購読している心温まる小さな新聞だ。各地で行われる講演の内容を主に掲載している新聞で、以前は「みやざき中央新聞」という名前だったのでそちらの方をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

特徴的なのは「良い話だけが掲載されている」という点。事件や事故などの情報は一切無く、読んでホッとするような話が中心となって構成されている見開き4ページの新聞だ。先が見えにくく嫌な事件や事故の多い昨今だが、だからこそこういった「良い話を知ることのできる媒体」は貴重だと思う。