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手話学習者に対する最高のほめ言葉

 手話を勉強し始めて1年半。年齢的な問題なのか元々の語学に対する適正の問題なのか、自分で考えているよりも習熟度の上がるスピードだ遅いような気がする。それでも地道に読み取りの練習や単語を覚えることなどを行っているが、先日お会いした聾(ろう)の方に嬉しい言葉をかけていただいた。

■「聾者のようだ」というありがたい一言

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 先日、仕事の関係でやや大きめの講演会に参加した。都内で行われた講演会には200名以上の方が参加されていて、企業就労における障害者雇用の様々な課題を発表するという形式だった。

 その中で、ある会社の若手社員の方が「聴こえない人に対する職場での理解」をテーマに講演をされた。ご本人は生まれつき聴こえない聾者で、手話での講演に手話通訳者がつくという形式での講演は内容も良く、堂々とした話しぶりにも好感をもった。

 講演会終了後の懇親会で講演をされた方にご挨拶をする機会があったため、私も覚えている限りの単語を使った手話でお話をさせていただいた。その際の会話がとても嬉しい内容だった。

「いつから手話を勉強されているんですか?」
「1年半ぐらい前からです」
「そうですか!お上手ですね」
「ありがとうございます。手話は難しいのでまだまだです」
「いえいえ、特に表情の使い方がまるで聾者みたいでお上手ですよ」

  手話は日本語とは別の独立した言語なので、例えるなら日本に来られた外国の方が日本語を話すと日本人は嬉しくなるのと同じで、聾者は手話で話せる健聴者と会うととても嬉しいんだとか。さらに、手話は手の動きだけではなく顔の表情も重要な役割を持っているので、表情豊かに話すのが良いとされている。

  私の職場には聾のメンバーがいるので時間があれば手話で話をするようにしているが、彼らの表情が常に豊かなので表情の使い方が私自身も知らず知らずのうちに身についたようだ。

 手話を勉強していて「表情の表現が聾者のようだ」と言われるのは、私にとっては最高の誉め言葉だ。たぶん、手話表現的にはまだまだだとは思うが、表情の使い方や「手話で話をしたい!」という私の想いをも含めて誉めていただいたんだなと感じた。

  最近手話の読み取りで若干伸び悩みを感じていたので、このように誉めていただいたことで学習意欲がググッと高まった。ありがたいことだと思う。

■手話を学ぶということ

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 昨年2013年10月に、日本で初めて鳥取県において「手話言語条例」が制定されたことは記憶に新しい。北海道石狩市でも「手話基本条例」が制定されるなど、手話を言語として明確に位置付ける動きが全国的に広がってきている。

 手話を学ぶということは「別な言語を学ぶ」ということであり、決して日本語を手の動きで表すということではない。若干分かりにくいかもしれないが、手話は独立した言語だというのが現在の一般的な認識として定着しつつある。

 さらに、手話を学ぶということは「聾文化を理解する」ということであり、歴史的な側面をも含めて「文化」として学び理解する必要がある。そういう気持ちで学ぶことで「聾者を理解する」という障害理解につながっていく。

 私も手話講習会に通い始める前は「日本語対応手話」と「日本手話」があることを知らなかった。また、聾者が独自の文化の中でさまざまな苦労をしながら、法改正を含めて取り組んできたことも知らなかった。知らなかったことだらけである。

 語学を学ぶことはその国の文化を学ぶことだと言われたことがあるが、手話に関しても同様のことが言えるんだなと思う。これからもモチベーションを高く持ちながら、少しでも手話ネイティブに近づけるよう努力していきたい。