高度成長期やバブル景気を経験してきて、日本でも「働く」ということに関しての意識が徐々に変わってきているような気がする。一つの会社で長く勤めればそれなりに出世できた年功序列の時代は終わり、頑張っている人が引き上げられる評価制度にも魅力が少なくなってきた。
若い世代だけではなく私のような中高年世代にとっても、これからの生き方を真剣に考えるということはとても大切で、「自分にとっての幸せ」は何なんだろうかということをついつい考えてしまう。若い世代でも中高年世代でも、都会を離れて移住を考える人が多いのは、そういったことも関係しているのかもしれない。
自分にとっての幸せを考える
農業を中心としていろいろなことを考えさせてくれるのが、誉田哲也さんが書かれた「幸せの条件 (中公文庫)」という物語だ。最近、書店の平台にも置かれていることの多いこの一冊は、忘れてはいけないことがしっかりと書かれている一冊だった。
主人公の瀬野梢恵は、2年前に三流私大の理学部を卒業した24才のOL。理化学実験ガラス機器の専門メーカーである片山製作所に勤めているが、理学部を卒業したにもかかわらず専門的な仕事には就くことができず、伝票などを処理する事務員として毎日を過ごしていた。
恋人とも微妙な距離ができていて、恋も仕事も中途半端な状態の梢恵。ある日、社長の片山から新燃料であるバイオエタノール用の米をつくる農家を探すよう、長野への長期出張を命じられる。
片山が開発したバイオエタノール抽出装置に使用する原料調達が目的だが、元来一生懸命に何かをするということをやってきていない梢恵にとっては、契約を取るまで帰るなという社長の命令は衝撃的だった。
半分旅行気分で長野へ出かけた梢恵だったが、行く先々の農家でことごとく門前払いをくらってしまい、いきなり初日から途方にくれることになってしまう。そんな梢恵に手を差し伸べてくれたのが、休耕田を持つ農家と契約して農業を行う『あくもぐ』という農業法人だった。
『あくもぐ』の代表である茂樹には厳しいことを言われたものの、妻の君江や娘の朝子に励まされて農業を一から勉強することになる。急遽、長野の『あぐもぐ』に住み込みで働くことになった梢恵にとっては、除雪からビニールハウスの設営など知らないことだらけの毎日だった。
それでも、厳しくも優しい農業法人のメンバーと過ごすうちに、梢恵は徐々に働くことや生きていくことについていろいろなことを感じ、考え始める。そんな時に東日本大震災が発生。一旦は片山製作所に戻った梢恵だったが、大震災をきっかけとして梢恵の中で何かが確実に変わっていった。
この物語は農家が直面している課題や農業の素晴らしさなどを縦軸にして、東日本大震災のことや原発事故のことなどがどのように生活に影響してきたかが描かれている。しかし、そのことをことさら強調するのではなく、さりげなく取り上げているところに好感を覚えた。
人が生きていくためには何が必要なのか、働くということはどういうことなのかということを、押し付けがましくなく自然に伝えてくれるところが良い。また、エネルギー問題や食糧問題などがわかりやすく丁寧に描かれており、読み終わった時には爽やかな気持ちになるとともに、働く勇気や大切なことを教えてくれる一冊だった。
誉田哲也さんといえば刑事物などのハードボイルドな小説を書かれる方だが、新境地とも言えるこの作品は、心にしみる素敵な物語だった。