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【新刊】「龍の耳を君に (デフ・ヴォイス新章)」丸山 正樹

86才で亡くなった母は、何につけても豪快な人だった。運転中にヒッチハイクーを見かけたら家に連れてきて食事をさせ、知り合いが怪我や病気をすると真っ先に駆けつけて世話をする。判官びいきというのだろうか、弱きを助けることを無条件で選ぶ人だった。近所の方々との付き合いもとても大切にしていて、常に多くの友達に囲まれて笑顔で過ごしていた人でもあった。

そんな母が亡くなった通夜の夜に、兄から意外なことを聞いた。 我が家は自営業だったのだが、私が幼い頃にどうしても日中の子守りが必要になった時期があったそうだ。その際に子守りを近所の人に頼まずに、母は知人にお願いして聴覚障害の方に子守りをお願いしたそうだ。理由は「少しでも聞こえない人の収入になれば」とのことだったという。

昭和30年代の終わりはまだまだ聞こえない人に対する偏見も強かった時期だろうし、子どもの世話を頼むのにも聞こえないということが不安でもあっただろう。それでも母は、社会的に弱い人に少しでも収入があればという気持ちでお願いしたようだ。

私が手話に出会って勉強をし始めたのは5年前。その時母に手話を勉強し始めたことを話したが、「それは良いことだね」と言っただけで昔の話は一切しなかった。しかし今考えると、その時に「せっかく始めたことだから頑張って続けて人の役に立つようになると良いね」と言われたことを思い出す。

私にはお世話になった当時の記憶はないのだが、半世紀近く経って手話に出会ったことに不思議な縁を感じた。そして、通夜の夜にその話を聞いて、母のことを今さらながらとても誇らしく感じた。 

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丸山正樹さんの書かれた 「龍の耳を君に (デフ・ヴォイス新章)」は、聴覚障害の方々や手話通訳者のことを描いた社会派ミステリー作品だ。丸山さんのデビュー作である「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」の続編という位置付けだ。デビュー作はコーダの手話通訳者が主人公の物語で、福祉関連施設の持つ課題や社会を支えるNPOの活動、手話通訳者の置かれている現状などを的確に押さえた社会派ミステリーだった。続編の主人公も、前作と同じくコーダの手話通訳者だ。

ちなみに、コーダとは両親がろう者というデフファミリーの中で育った聴者のことだ。手話を母語とするろう者の中にいて、聴者ながらろう文化の中で育ってきた人々のことをさす言葉とも言える。

物語は、手話通訳者である主人公の荒井尚人が、前科のあるろう者の男性が被告人の強盗事件に関する裁判の通訳を引き受けるところから始まる。取り調べの段階できちんとした通訳をおこなってもらえなかったことで、身に覚えのない罪を被ってしまうという案件だ。

ここでは裁判の通訳として荒井が関わるが、聞こえない人が音声言語を発することの難しさや、そこに至る教育のあり方などを考えさせられる。

強盗事件の通訳が終わると、ろう者の若者が他のろう者をだますという事件の通訳が待っていた。今度は取り調べにおける通訳だ。ここでは、取り調べでの通訳の重要性や、ろう者に対する社会の認識を改めて考えさせられることになる。

そして最後の話が、タイトルにもなってる「龍の耳を持つ少年」の話だ。ここでは聴覚障害者ではなく、発達障害の少年が物語の中心となっている。さらに彼は、特定の場面のなると話せなくなる『緘黙症』の少年だ。

少年が手話に興味を持ったことから荒井が教えることになり、それらを通じて徐々に少年は荒井や周辺の人々に心を開き始めるとともに、自分の意思を手話によって伝えられるようになってきた。

そんな時、少年と母親が住むアパートの向かいの建物でNPO職員が殺されるという事件が発生する。少年は車のナンバーや車種を完璧に記憶するという特別な力を持っており、事件に関連する重要な車両や人物を偶然目撃していた。少年の母親と殺された職員とが結び付き、さらに少年とも繋がっていく。事件の真相はどこにあるのか。

今回の物語は、前作以上にろう者を取り巻く状況が詳しく描かれており、物語の展開がスピーディーなので一気に読み進んでしまう。これは作者の筆力によるものだろう。

また、ろう者の事件二話を短編として持ってくることによって、最終話で健聴者の少年が手話を使うことの意味を際立たせてくれている。さらに、子どもの発達障害や緘黙症のことをきちんと取り上げてるのがまた素晴らしい。特に緘黙症は世の中にあまり知られていない症状なので、こうやって社会に知らしめるということ自体がとても意義深いことだ。

本作品には聴覚障害や発達障害、ホームレス問題や詐欺事件など、社会の中にある様々な障害や偏見や苦労などが、これでもかというくらい詰め込まれている。しかし、こういった物語にありがちな押し付けがましさが一切感じられない。それはきっと、詳細な取材によって得られた情報を、著者が真摯にかつ客観的に捉えているからだろう。世の中にある理不尽なことを、熱を入れすぎずにやや高めの温度で読者に提供する。そんな見事なバランス感覚があってこそ、押し付けがましくなく心に響くのだと思う。

社会的な問題に着目しながらも、ミステリーとしても非常に面白い展開を見せるこの作品。ぜひ多くの人に読んでいただきたい一冊だ。

なお、本作とデビュー作の間に発刊された「漂う子」も、社会の闇を捉えた素晴らしい社会派ミステリーだ。併せてお読みいただきたい。 

龍の耳を君に (デフ・ヴォイス新章)

龍の耳を君に (デフ・ヴォイス新章)

 
デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 (文春文庫)

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 (文春文庫)