気分はポレポレ よろず情報ブログ

大好きな文房具や書籍、日常のことなどを随時更新中です!

舞台「残夏-1945-」を観て・感じて・感動した

 本を読むのが大好きだし、映画を観に行くのも好きだが、舞台やミュージカルを観る機会はなかなか無い。自分の中で少し敷居が高く感じているというか、興味はあるけれども臆してしまうというか、数えるぐらいしか観たことがなかった。
 今回、「手話」を通じて興味深い舞台があることを知り、久しぶりに観に行くことにした。

原爆投下を題材とした舞台「残夏1945」

f:id:polepole103:20150711152617j:plain

 今回足を運んだのが、JR高円寺駅から歩いて5分ほどの場所にある座・高円寺という劇場。文化の発信場所として有名な劇場で、年間を通じて様々な公演が行われている。

”「座・高円寺」は、舞台芸術の創造と発信、及び、地域に根ざした文化活動拠点です。演劇やダンスなどの優れた舞台芸術作品の上演、ワークショッやレクチャーなどの教育普及活動、国内外の劇場とのネットワーク事業を軸に、芸術文化の振興を図るための多彩なプログラムを展開するとともに、地域の皆さんによるさまざまな芸術文化活動や交流を支援してまいります。”http://za-koenji.jp/about/index.html

f:id:polepole103:20150711222128j:plain

 観劇したのは「残夏1945」という舞台。第二次世界大戦末期に広島と長崎に投下された原爆を題材としており、その中でろう者がどのような苦労を強いられたのかということなどが演じられている。また、現代における手話教育のことなども盛り込まれていて、非常に感動的で素晴らしい内容だった。

あらすじ

夏実は離婚した夫との間に生まれた耳の聞こえない娘の結と二人暮らしの雑誌記者。
夏実と結の関係は断絶しようとしていた。
夏井は自分の母、康子と思春期に断絶して以来、必要以上に会わずに人生を過ごしてきた。

ある日、終戦七〇周年の記事の一端を任された夏実は母のことに思い至る。母はろう者で終戦間際の長崎で生まれ、被爆している。
被爆したろう者の体験談を聞こうと夏実は通訳を依頼する。
通訳としてきたのは元夫である沢口だった
広島で、ろう者の語る壮絶な被爆体験は夏実に母を思い起こさせる。
夏実は通訳である沢口を伴って帰郷。母娘はひさしぶりの対面を果たす

「同じだ。わたしは大嫌いだったこの人と同じ母親になっているんだ・・・。」

やがて通訳を介して語られる母の半生。
そして母の両親の被爆ーーー
もつれて、からまって、途切れているようで繋がっている、七〇年の母娘の物語。

(「残夏-1945-」会場パンフレットからの参照)

  戦争や障害に関する内容というと、どうしても重い雰囲気を思い浮かべてしまう。しかし、「残夏1945」はそういった重い題材を主題としながらも、笑いあり涙ありの感動的な舞台だ。手話によってストーリーが進む場面が随所に盛り込まれているが、それを特別なこととは感じさせないストーリーづくりが凄いなと感じた。

 また、物語の中で流れている音楽もすばらしい。特に生演奏のパーカッションが醸し出す迫力はものすごい。さらに、細いパイプを使った空間演出も見事で、映画やテレビとは違った創造的な空間を楽しむこともできた。
 心温まるエピソードが随所にちりばめられていて、年甲斐もなく何回も涙を流してしまい、周囲に気づかれないようにそっとハンカチで目頭を拭うことになった。
 悲しくて流れる涙ではなく、心の底がふわっと暖かくなって自然とこみ上げてくる涙というのは、人の心を浄化する効果があると思う。舞台を見終わって劇場の外に出たときに、心の中がさっぱり綺麗に浄化されているのを感じることができた。
 東京公演は本日までだが、これから広島と長崎でも演じられるようだ。機会があればぜひ皆さんにも観ていただきたい。

広島公演

場所:広島市東区民文化センター大ホール
日時:2015年7月18日(土)
  〔1回目 開場12時30分・開演13時〕
  〔2回目 開場17時30分・開演18時〕

長崎公演

場所:長崎市チトセピアホール
日時:2015年7月25日(土)   〔1回目 開場12時30分・開演13時〕
  〔2回目 開場17時30分・開演18時〕

 ライブの迫力に魅了される

f:id:polepole103:20150711152030j:plain

 演劇だけではなく、スポーツでも演奏会でも、直接観るというのは迫力がある。どれだけデジタル技術が発達しても、ライブの迫力と感動には追いつかないだろう。
 今回久しぶりに舞台を観に行ったが、舞台上で物語を紡いでいる役者さんから放たれたエネルギーが、そのまま観客席の私たちのところまで飛んでくるのを感じた。発せられる言葉も表情も想いも、言葉となって、空気の振動となって身体の中に飛び込んでくるような感覚だ。

 役者さんの放つ「気」のようなものが空間を飛んできて、それを身体中で感じるのが演劇なんだなと再認識した。目や耳でストーリを知って頭で理解するのではなく、頭のど真ん中にズドンと入ってくるのが演劇なのだろう。

 舞台の内容や雰囲気を伝える文章が実に凡庸で申し訳ないが、自分なりに解釈すると「舞台は身体で感じるもの」だということを知った一日だった。これからも、今回の舞台を企画・制作したサイン アート プロジェクト.アジアンの舞台を、機会を作ってぜひ観に行きたいと思う。