職場でも家庭でもコミュニケーションが大切なのはいうまでもないが、ただ単に話をすることがコミュニケーションではない。コミュニケーションとは「互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」なので、一方的に話をしたり挨拶をしたりするだけではコミュニケーションをとっているとは言いがたい。
先日NHKの情報番組で紹介されていた大阪の食堂では、思いがけない方法でお客さんの心をしっかりと掴んでいた。それはちょっとしたことながらも、心がホンワカと温かくなる方法だった。
名前で呼びかける食堂
毎回、家族揃って楽しみにしているのが、NHK総合テレビの「サラメシ」という番組。毎週月曜日の夜に放映されている番組で、中井貴一さんのナレーションが絶妙な情報番組だ。
「サラメシ」とは「サラリーマンのメシ(昼食)」の略で、働く人々のお弁当や外食を取材するという内容だ。単にランチメニューが紹介されるのではなく、登場する人の仕事の内容やランチにまつわる物語なども織り込まれていてとても面白い。
そんな「サラメシ」で先週放映されていたのが「まるごと大阪スペシャル!」。大阪のいろいろなお昼ご飯やお店を紹介するとともに、お昼ご飯にまつわる楽しい話が満載だった。
http://www.nhk.or.jp/salameshi/archives/a150601.html
なかでも特に興味深かったのが、大阪市此花区にある「舞洲食堂」という社員食堂の様子。コンビニの入った建物の2Fで営業している舞洲食堂は佐川急便の社員食堂だが、佐川急便以外の人でも自由に利用できるというオープンな雰囲気の食堂だ。
この食堂はとても人気が高くて、毎日200食以上の定食が販売されるというから驚く。ご飯は好きなだけ自分で盛ることができるというのも人気の一つだが、接客方法にも人気の秘密が隠されていた。
お客さんは注文をしてからできあがるまで少し待たなければいけないが、さらに注文の際に「名字ではなく名前」を告げるようになっている。そして、定食などの料理ができあがると、カウンターのお姉さんに大きな声で名前を呼ばれるという仕組みだ。
例えば”次郎”というお客さんが生姜焼き定食を頼むと、できあがったときに「生姜焼き定食をお待ちの次郎さ〜ん!」と明るく元気な声で呼ばれる。呼ばれたお客さんはちょっと恥ずかしそうな顔をしながらも、皆さんニコニコと笑顔で受け取りにきているのが印象的だった。
また、レジでは一言二言お客さんとお店の人が世間話をする様子も映っていて、お客さんに愛される食堂なんだなということがテレビ画面から伝わってきた。大阪ならではの接客方法なのかもしれないが、こういうお店があれば私も毎日火曜かもしれないなと思った。
名前を呼ぶことは相手を承認することにつながる
舞洲食堂の例は極端かもしれないが、私たちの生活の中でも相手の名前を呼ぶというのはとても大切なことだと思う。職場でもしかり、家庭でもしかりである。
例えば出勤した際に「おはようございます」と挨拶をして職場に入った時に、「おはよう」と返されるのと「◯◯さん、おはよう」と返されるのとでは後者の方が親しみを感じる。また、打ち合せなどの時に相手に「あなたの意見は」というよりも「◯◯さんの意見は」という言い方の方が温かみが出てくる。
これは「◯◯さん」という名前を入れることで、相手を承認していることになり、言われた方も自分という個人の存在を認められていると感じるからだ。
家庭でも同様で、食事のあとにに単に「ごちそうさま」というよりは、「おかあさんごちそうさま」と言った方が気持ちが伝わる。ご夫婦であれば「おかあさん」ではなく名前を呼んでお礼をいうということが大切だろうと思う。(少し照れくさいかもしれないが)
人は承認されることで自分の必要性を無意識に感じている。だからこそ、挨拶ひとつとっても「◯◯さん」と名前を入れるとともに、相手の目を見て挨拶するということが大切なんだと思う。
会社でも役職を呼ばない方が良い
相手のあることなのでなかなか難しいのだが、本来は職場でも役職を呼ばない方が上司と部下の親近感は増す。
「部長」だとか「課長」というように役職で相手を呼ぶ会社は多いと思うが、なかには「〇〇さん」と部長も課長も社員もすべて名字で呼ぶという会社もある。そういう文化のある会社は概して社内の風通しが良く、明るい雰囲気の会社が多いように思う。
役職というのは単なる呼称であって、その人個人の名称ではない。役職を呼ばないと機嫌が悪くなるという上司が居たとすれば、その上司はたいした人物ではないということだろう。本当に素晴らしい人格を持った人物は、役職で呼ぶことを強要しないものだ。
そういえば、子どもが生まれて何年かした時に、妻に「おかあさん」と呼びかけたら即座に「私はあなたのお母さんじゃない!」と一蹴されたことがある。子育てで大変だった時期だけに、個人としての自分を承認して欲しいという気持ちがあったのだろう。
会社でも家庭でも、名前を呼んで個人を承認することで、質の高いコミュニケーションがとれるのではないだろうか。