子どもの頃は近所にある祖父母の家で遊ぶことが多かったため、一緒に見るテレビ番組は大相撲やNHKドラマ、時代劇という番組多かった。当時はテレビのチャンネルが今よりもかなり少なかったこともあって、子ども向けの番組がそれほどなかったということもあるだろうが、一緒にテレビを見ながら相撲のことやドラマのことなどを説明してもらうのも楽しかった。特に時代劇は祖父も祖母も大好きで、悪者役の俳優さんが出てくると本気で怒ったりしている姿を思い出す。
その影響からなのか、高校生の頃も学校から帰ってくるとまずは夕方のテレビで「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」の再放送を見てから宿題を片付けたりしたものだ。また、当時から本を読むのが大好きで色々なジャンルの本を読んでいたが、昔も今も時々無性に時代小説を読みたくなるのは子どもの頃の習慣が影響しているのかもしれない。
時々、無性に読みたくなる時代小説だが、先日書店の平台に載っていた白蔵盈太の書かれた「実は、拙者は。」を読む機会があった。時代小説ながらエンターテイメント性が高くてテンポが良く、思わず一気読みしてしまった。
深川佐賀町の裏店に住まう棒手振りの八五郎は、平凡かつ地味な男。人並み外れた影の薄さが悩みの種だが、独り身ゆえの気楽な貧乏暮らしを謳歌している。 そんな八五郎は、ある夜、巷で噂の幽霊剣士「鳴かせの一柳斎」が旗本を襲う場に出くわす。 物陰から固唾を呑んで闘いを見守る八五郎だが、一柳斎の正体が、隣の部屋に住まう浪人の雲井源次郎だと気づき──。 影と秘密は江戸の華!?
(「BOOK」データベースより)
主人公の八五郎は天秤棒に荷物を積んで売り歩く”棒手振り”だが、「妙に影が薄い」という短所が意外と長所となって物語が展開する。江戸の町での暮らしぶりや文化などの時代考証を考えると疑問符がつく場面もあるかもしれないが、そこに引っかかって読むよりは、「痛快時代劇」としてエンターテイメント性を感じながら読むのが良い。
そう、この物語はまさに、私が昔見ていたテレビ時代劇のような内容と展開なのだ。ただの町人だと思っていた人が裏の顔を持っていたり、威張っているだけだと思っていた役人が実は痛快な活躍をしたりと、「こうなるといいのにな」と思うことが実現する。読み終わったときに思わず拍手を送りたくなる、痛快な時代小説だった。