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「一九六一東京ハウス」(真梨幸子)

1960年代は東京オリンピックが開催されたり新幹線が走り始めたりと、高度成長期のど真ん中だった。私が生まれたのは1960年代の初めだが、生まれ育ったのが九州の片田舎だったので、道路はまだまだ舗装されておらずオート三輪が土煙を上げながら走っているという感じで、高度成長期のイメージとは少々異なる雰囲気だった。

物心がついた1960年代後半になると、白黒テレビから流れてくるニュースで東京のことなどを知るようになるが、高速道路が走っていたり大勢の人が電車に乗っていたりと違う世界のことのように感じていた。多分、当時は九州の片田舎は道路や建物などのインフラ整備が、東京から数十年遅れていたのだろうと思う。だからといって住みにくかったわけでは無く、のんびりとした雰囲気と自然豊かな環境は東京にはない良さだったと思う。

東京というと車や人が多いというイメージとともに、「団地」「ニュータウン」という大勢の人が住んでいる街があるというイメージもあった。特に「団地」は田舎にはない建物なので、一つの建物に数十家庭が住んでいるというのは「すごいな」というよりもちょっと不思議だなと思う対象物だった。

一九六一 東京ハウス

真梨幸子さんが書かれた「一九六一 東京ハウス」は、昭和の香りが漂う「団地」が舞台の物語だ。しかし、1961年当時の団地が舞台になっているのでは無く、当時建てられた団地に現代の家族二組が移り住んで実験的に生活するという物語だ。

60年前に作られた団地に数ヶ月生活するだけで、賞金500万円がもらえるというテレビ番組。現代の家族が昭和30年代の生活をすることでどのように戸惑うのか、苦労するのかを記録するというリアリティーショーの企画だ。その企画に選ばれた二組の家族が団地での生活を始めるが、住まいの設備だけでは無く髪型や洋服などを含めて団地内での生活全てが当時のままのスタイルで行うことを指定される。

「ヤマダ」という名前と「スズキ」という名前を名乗らされた二組の家族は、それぞれ独自の様式で生活を始める。必要最小限の道具しか与えられなかったヤマダ家は、初日から食べるものにも困るような状態だったが、恵まれた環境でスタートしたスズキ家の支援を受けながら徐々に安定した生活を送れるようになってくる。しかし、「事件」の発生を目論む製作サイドの思惑によって、二つの家族は徐々に歯車が狂い始めて不穏な雰囲気に包まれていく。

人は与えられた環境と役割で性格がどのように変わってくるのかが、スピーディーな展開で描かれていて思わず引き込まれてしまう。そして、リアリティーショーの裏側に隠された思惑が二重、三重、四重にも絡んできて、ラストにはどんでん返しに次ぐどんでん返しで、思わず何回も前のページに戻って伏線を確認してしまった。中盤はとにかく「事件」に次ぐ「事件」で、ハラハラしながらもこの先どうなっていくのか分からないという展開となって面白い。

読後に嫌な気持ちになるミステリーのことを「イヤミス」というらしいが、この作品もなかなかのイヤミスぶりでなかなか面白く読ませていただいた。オススメの一冊だ。

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