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Facebookの利用をやめて変わったこと変わらないこと

10年近く続けていたFacebookを先日退会した。正確にいうと2年前に利用停止をしていたのだが、中途半端な気がして先日アカウントの削除を行った。Facebookの利用をやめて2年間経ったが、変わったこともあれば変わらなかったこともあった。

Facebookの利用をやめた理由 

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Facebookの利用をやめたのには「これ」という強いな理由があるわけではないが、強いて言えばFacebookの個人情報流出のニュースが流れたのがきっかけだ。2年前に個人情報流出があり、その時に「嫌だな」という感覚が湧いて投稿する機会が減り、結局そのまま使わなくなった。

また、自分自身の出来事を投稿するのにも何となく嘘っぽさを感じるようになるとともに、個人的な出来事を流すことに対しての不安感も感じるようになった。

それなら投稿せず流れてくるタイムラインを見るだけでいいじゃないかという考え方もあるだろうが、自分自身の投稿に嘘っぽさを感じるとともに流れてくるタイムラインにもそれに近い感覚を持つようになり、そういった感覚を持つこと自体に嫌気がさしたというのも事実だ。

また、若い頃の友人のツイートがやけに反社会的だったりネガティブなものだったりすることも何回かあり、気持ちが重くなったこともFacebookをやめた原因のひとつだった。

やめてみて変わったこと

Facebookに限らずSNSは「ついつい見てしまう」といことが多い。暇があるのでそれを埋めるために見るのだが、徐々に見ることが主体になってしまい「暇がなくても見る」という状態になっている。電車の中などでFacebookやTwitterを見てしまうのは同様の習慣であり、電車から見える周囲の景色を見るということがなくなってしまう。

FacebookをやめてからはTwitterやWebニュースも以前よりは見ないようになった。元々本好きなのでその時間を読書に当てているのだが、Facebookをやめてからは少なからず読書量が増えた。ちょっとした隙間時間に見ていたSNSだが、累積すると結構な時間になっていたということなのだろう。

一方で、当然のことながら遠く離れた友人、知人の消息が分からなくなった。逆に私の消息も不明となっていることだろう。寂しくないと言えばウソになるが、それで無くなるご縁ならそれまでのことなんだろうとも思う。

それでも、一人だけ高校の頃の友人が「Facebookが更新されなくなったけど何かあった?」と連絡をくれた。ありがたいことだ。極端な言い方だが、こうやって自分を探してくれる人とのご縁こそ、大切にすべきご縁なのかもしれない。

やめてみて変わらないこと

Facebookの利用をやめたときには、友人・知人と縁が切れたような気がして少し寂しい気持ちになったが、前述したとおり私と連絡をとりたい人は何かしらの方法で連絡を入れてくれることに気づいた。結局、Facebookをやっていてもやっていなくても、実際に会う友人の数は変わらない。

かといって、全くFacebookから離れたわけではなく、必要な情報があればFacebookから得ることもある。ゲストとして入ると画面スクロールがやりづらかったり、得られる情報が少なかったりするのだが、それでも必要十分な情報は得られていると思う。

結局のところ

Facebookの利用をやめてもやめなくても普段の生活にはほとんど変化がなく、連絡がとれる人とはとれて、とれない人とはとれないという当たり前の状態になっている。

時々「そういえばあの人はどうしているのかな」と思うこともあるが、かといって積極的に連絡をとろうかという気持ちにもならない。Facebookで「友だちだった人」も、多くは私に対して同じ状態なのだろう。

結局のところ、FacebookなどのSNSは「やっていて楽しい人がやれば良い」ということだと思う。SNSに対する感覚は人それぞれなので、それ以上でもなくそれ以下でもない。そして、時々「本当に続けている必要があるのか?」と自問自答してみることも大切だろうと思うがいかがだろうか。私も「やっぱりやっていた方が楽しい!」と思うことがあれば、躊躇なく再開すると思う。

(結論のない戯言で失礼しました)