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週初めは「とにかく挨拶をする」というところから始めてみよう

 子どもの頃から「挨拶はきちんとしなさい」と教えられてきた。九州の地方都市で小さな文具店を営んでいた母の教えだが、とにかく挨拶にはうるさくて「道を歩いていても知っている人が来ないかどうか気をつけておくように」ということまで言われていた。商売を営んでいた母ならではの周囲への気遣いだったのだろうが、子どもの頃に叩き込まれたこの習慣を今ではありがたいと感じている。

挨拶をすることは相手を承認すること

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 週初めは何かと気分が重いものだが、明るい声で挨拶をされると気分も明るくなるものだ。自分がそう感じるのであれば、相手にもそういう気分をおすそ分けすることでとても良い雰囲気になるだろうと思う。

 挨拶の基本は「相手の顔を見て」「明るくはっきりとした声で」行うということだろう。ただ漫然と「おはようございます」という挨拶をするのではなく、「相手の顔を見て」きちんと挨拶をしたい。

 これが簡単なようでなかなか難しいのだが、そうすることで「あなたに挨拶をしているんですよ」という意思表示になる。相手が目を逸らしながら返事をしてもへこたれてはいけない。そういう人も世の中にはたくさんいるが、視線は必ず届いているはずだ。相手は照れているだけかもしれない。

 できることなら、挨拶に加えて相手の名前も付け加えてみたい。「◯◯さん、おはよう」という挨拶をすれば、「自分から不特定多数への挨拶」から「自分から相手への挨拶」に変わる。名前を呼ぶことは相手を承認することであり、承認されることは相手の存在を確かにすることでもある。

 名前を呼ばれて挨拶をされて、それでも挨拶を返さないという人は少ないだろう。そうすることで、その人が自分にとってどのような距離感で接すれば良い人かもわかるというものだ。また、そういった挨拶が定着する職場は風通しの良い職場になりやすい。

 私の職場は幸いにもそういった挨拶が交わされる職場なので、毎日朝からとても良い気分でスタートすることができる。そういった職場を作ってきたのは職場の仲間だし、私もその一人であるということがまた嬉しい。

 職場でも家庭でも「相手の顔を見て、名前を呼んで挨拶する」ということが、自分の居場所をつくる第一歩だと思う。

手話を学ぶことはコミュニケーション能力の向上に役立つ

  唐突な話であり挨拶とは少し話が外れてしまうかもしれないが、手話を学ぶということがコミュニケーション能力の向上に役立っている。

 手話を学び始めてまだ3年だが、手話を使ううえで大切なことの一つに「相手の表情をしっかりと見る」ということがある。手話は視覚言語と呼ばれるぐらい、手の動きだけではなく口の動きや体の動き、顔の表情などを使って意思表示を行う言語だからだ。

 相手の使う手話の動きを目で追うのではなく、顔を見ながら手の動きを視野に入れておく必要がある。相手と話をするのに視線は常に顔の辺りに置いておくので、自然と相手を顔を見ながら話をすることになる。

 最初の頃は相手の顔を見据えながら話をすることに戸惑いがあったが、いまではそれが当たり前のことになった。それは健聴者との会話でも同様で、相手の顔をしっかりと見ながら話をするようになったのはとても良いことだと思っている。

 一つのことを学ぶことで他のことにも役立つという例だろうし、「学び」「教育」というのはとても重要なんだなと実感している。 

与えるものは与えられる

 朝の挨拶も相手への思いやりや心遣いも、自ら進んで行うべきだ。相手がやってくれたら自分もやってあげようと思っていると、限られた人としか挨拶を交わさず気にかけてくれる人も限られてしまうだろう。

 自ら進んで相手への挨拶や親切を行うことは、巡り巡って自分に必ず返ってくる。「情けは人のためならず」ということわざは「相手への思いやりは回り回って自分に返ってくる」という意味だし、「見返りを期待しない親切や心遣い」というものはその人の心を育てていくものだと思う。