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昔ライダーだった私は間違いなく春を一番に感じていた

今週のお題特別編「春を感じるとき」
〈春のブログキャンペーン 第1週〉

 昨日は東京で季節外れの雪がぱらつき、散り始めた桜の花びらも歩道の上で氷漬けになっていた。こういった天候を寒の戻りというのだろうか。上着もいらなくなるぐらいのポカポカ陽気が続くのはもう少し先になりそうだが、この時期になると不思議と昔バイクに乗っていた頃のことを思い出す。

■バイク乗りは五感が研ぎ澄まされる

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 20代の始めに中型バイクの免許を取ったが、その理由としては勤め始めてから会社の独身寮に数年間入っていたことが大きい。独身寮で仲の良かったメンバーの一人がいわゆる「正統派のライダー」で、大きな荷物をタンデムシートにくくりつけてはしょっちゅうロングツーリングを楽しんでいた。

 バイクを自由気ままに移動するための道具として操っていた彼の姿がカッコ良くて、私を含めて仲の良かったメンバーが次々と中型バイクの免許をとりに教習所へ通った。免許をとってからは、それまで細々と貯めていた貯金で中古の中型バイクを買いあちこちに皆で出かけた。

 給料前にはお金がなくてピーピー言っていたが、それでも食事を一回削ってでもガソリン代にあてて貧乏ツーリングに出かけていたのは、今となっては懐かしい思い出だ。

 その後、新車のバイクに乗り換えたりしながら30代後半までライダー生活を送っていたが、バイク乗りは間違いなく季節を先取り出来る人種だなと思っていた。人間が自力で移動できるスピードをはるかに超えて移動していると、身体が空中にむき出しだということもあって知らず知らずのうちに五感が研ぎ澄まされてくる。

 移動中にふっと空気の温度が変わることがあったり、突然潮の香りがしてきたり、シフトアップするときにエンジン音の変化や車体の振動の変化を感じたりと、大げさな言い方をすれば「バイクに乗っていると生きていることを実感できる」という感覚を覚えていた。

 だからこそ、食費を削ってでもガソリンを給油しては遠出をしていたんだと思う。

■バイク乗りが春を先取りできる理由

 バイクに乗っている時に一番気を付けていたのが服装。安全のために革グローブとブーツは必須の道具で、それ以外に季節に合わせて気温に対応できる服装に気を配っていた。革ジャンや革つなぎを買うほどお金がなかったこともあって、もっぱら防風・防寒のジャンパーやパンツを利用していた。

 特に冬の季節は装備が大切。通常、風速が1mあると体感気温が1度下がるといわれているが、それを考えると時速60㎞で移動しているライダーは体感温度で16度ほど低く感じることになる。実際には気温や湿度など様々な条件が関係するのでそこまで極端ではないだろうが、それでも真冬にバイクで走るということは相当な寒さ対策が必要となる。

 五感が研ぎ澄まされた状態で寒風の中を疾走していると、ふと春の雰囲気を感じることがあった。信号待ちをしている時に太陽の光で太ももが少し暖かかったり、ヘルメットのシールドを上げたときに入ってきた風が微妙に暖かかったりと、非常に微妙な変化ながら春がやってきたんだなということを感じていた。

 そういった四季の変化を身体中で感じているからこそ、バイク乗りにはロマンチストが多いのかもしれないし、少年・少女の心を持ち合わせている人が多いのかもしれない。

 そういう意味では、昔ライダーだったころの私は、今よりも間違いなく「春」をいち早く感じていたんだなと思う。

■感じようとする気持ちが五感と感性を鋭くする

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 バイクに乗らなくなってから10数年が経ったが、バイクに乗らないと春をいち早く感じられないのだろうか。自問自答してみた。

 バイクに乗っていたからこそ五感が研ぎ澄まされたのは間違いないと思うが、それは方法が「バイクに乗る」ということであって、バイクに乗らないから春を感じるのが遅くなるということではないだろうと思う。要はいかに「季節を感じようとするか」ということが大切ではないだろうか。

 昔の人は季節ごとの旬の素材で食卓を飾り、季節ごとの行事を大切にしていた。花見もそのひとつだろうし、初物を大切にして家族全員で食卓を囲んでは食材の話をしていたのもそのひとつだろう。

 促成栽培などで一年中いろいろな食材を楽しめるようになり、インターネットの普及で居ながらにして各地の様子を知ることができるようになった。それ自体はとても素晴らしいことだし、恩恵をこうむっている人は数多いので良いことだと思う。

 しかし、自ら旬の食材を探し求めて食卓を飾り、電車とバスを乗り継いで徒歩も加えてわざわざ一本の桜の花を見に行くという行為も無駄ではないと思う。そうやって「季節を感じよう」と思う気持ちがあれば、おのずと五感と感性が鋭くなるのではないだろうか。

 そういう気持ちを常に持っていたいものだと感じた。