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人生の中で年代によって変わってきた「春を感じるとき」

今週のお題特別編「春を感じるとき」
〈春のブログキャンペーン 第1週〉

 桜の花が満開になったと思ったが、あっという間に散り始めてきた。季節の移り変わりは早いなと感じるとともに、季節を感じられることの幸せを思う。四季の中でも「春」は一番心躍る時期でもあるが、自分自身を振り返ってみるとその感じ方は年代によって変わってきたなと思う。

■少年時代

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 九州鹿児島の小都市に生まれ育った私にとって、遊び場は近所の空き地や川沿いの原っぱだった。私が少年時代を過ごした昭和40年代はまだまだ舗装されていない道路もあって、夜道を歩く時には懐中電灯を灯していても暗闇が怖くて仕方がなかった。暗闇に妖怪が潜んでいた時代だ。

 少年時代の私は近所の川に入って遊ぶのが好きだった。ズボンやシャツをビショビショに濡らしては、叱られないように家にこっそりと入る悪ガキだったのである。  

 近所の川で遊ぶのも好きだったが、町の中を流れている用水路に入るのも好きだった。清水がコンコンと湧く「三角池」と呼ばれる池があって、そこから川に向かって清流が流れる用水路があった。

 何をするでもなく用水路に入ってはびしょ濡れになっていたが、用水路の水が暖かくなって「入ってみようかな」と思えるようになると春を感じていたと思う。

■青年時代

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 学生の頃は、やはり学年が変わったり卒業・入学するという「別れと出会い」の時期が春を感じさせてくれた。誰しもそうだと思うが、桜のつぼみが膨らんでくると身辺がにわかにそわそわと落ち着かなくなってきていた。

 仲の良かった友達との別れや新しい友達との出会い。知らない者同士が相手との距離感を探りながら、クラスの中での立ち位置を確かめる季節。今考えてみると他愛のないことだったが、当時は学校やクラスが世界のすべてだったので真剣そのものだった。

 働き始めてからは、ファイルの年度替えを行うと「春になって新しい年度に入ったんだな」と思うようになった。平成になる前の話だ。

 事務職として仕事に就いた私は、昔はすべての書類をファイリングし新年度には入れ替えを行っていた。年度が替わる時に古い資料をファイルから一旦外し、「綴込表紙 」と呼ばれる板に挟み、綴じ紐で結んで書庫に入れる。非常に手間のかかる作業で、PCが職場に入ると「ファイルで保存」ということが出来るようになったが、それまでずいぶんと長い間その作業を毎年行っていた。

 そのほかにはやはり花見だろうか。若い頃には場所取りに、年令が上がってからは花見の計画や準備にと、花見の話が出始めると春になったんだなと感じていた。

■育児時代

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 晩婚だったため30代後半になって子どもを授かったが、子どもの洋服が薄手になってくると春になったなと感じるようになった。子ども番組を一緒に見るようになってからは、番組の再編成が行われる時期にも春を感じていた。

 子どもが生まれるまでと生まれてからでは生活がガラッと変わった。それまでは自分のことだけを(妻も含めて)考えていれば良かったが、子どもが生まれてからは検診や入学・卒業など子どものスケジュールが最優先。最初は戸惑ったもののそれはそれでとても楽しくて、すべての発育検診や行事にはすべて参加してきた。イクメンの先駆けだったのだろう。

 それもそろそろ終わりが見えてきていて、今年の春は桜の開花や梅の開花を家族で見に行くことで春になったことを感じた。季節の移り変わりをようやくノンビリと迎られるようになってきたようだ。

■そしてこれから

 子どもが社会人となって巣立つまで残り数年。会社を定年退職するまで残り10年を切ったが、さてこれからはどのような時に春を感じるのだろうかと改めて考えてみた。

 昔から早起きで「10時に寝て5時前に起きる」という生活をしているので、今までも朝の冷え込みが和らいでくると春を感じていた。また、日の出の時刻も徐々に早くなってくると、それに対しても春の訪れを感じていた。

 仕事を卒業して妻と二人の生活になると、今まで以上に季節の移り変わりを敏感に感じられるのかもしれない。それは、食卓に並ぶ旬の食材であったり、朝起きたときの暖かさであったりするのだと思うが、そういったことをしっかりと感じられるようになっていきたい。

 そのためには、何をおいても健康第一。そして、家族との絆を育てることが大切なんだろうと思う。「春を感じる」という言葉から連想するものは、結局は桜の花を家族全員で笑顔で毎年眺めるという光景に集約されるような気がする。ささやかながらも得難い幸福がそこにあると思う。