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「想い」は連鎖しムーブメントを起こす

 毎週楽しみにしている「みやざき中央新聞」という週一回発行の新聞がある。心温まる講演やためになる講演などの記事が掲載されている新聞だが、6月9日の社説に「想い」の素晴らしさについて書かれていた。

 「想い」は私の大好きな言葉だが、純粋な想いは人の心を動かすんだなということを改めて感じた。

■岐阜県の「荘川桜」にまつわる話

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http://shokawazakura.net/

 今回の社説は「100%失敗するとわかっている計画に取り組んだ男たちの話」という書き出しで、岐阜県の御母衣ダム建設にまつわる桜の大木「荘川桜」移設に関する話が取り上げられていた。

 少々長い引用となるが、内容を要約してみたのでぜひ読んでいただきたい。

 敗戦7年後の1952年に建設計画が立ち上がった岐阜県の御母衣ダム。地元の激しい反対運動に対して、建設計画の中心となった電源開発株式会社の初代総裁である高碕達之介は、自ら現地住民への説明を行うなど総裁自ら説明のために現地へ足しげく通った。

 高碕はいくつかの地区が水没することに心を痛めながらも、戦後復興に欠かせない電力供給は日本にとって重要事項だという強い想いをいだいていた。

 100人、200人を相手に総裁自らたった一人で説明を行うなど、7年間かけて村へ通い続けた高碕の人間性に打たれて、住民はついにダム建設に同意することとなる。建設側にもかかわらず反対同盟の解散式に招かれた高碕は、解散式の後に村を歩いて回ったが、その時に樹齢450年の桜の木に出会う。

 住民の心の支えとして桜の大木を移設したいと強く想った高碕は、桜の研究で日本随一と言われる学者の笹部新太郎に相談したが100%枯れると断言されてしまう。それでも住民に気持ちを伝えるために移設すべきだと話す笹部の言葉もあり、高碕は移植することを決意する。

 高碕の決意に動かされた笹部は移植計画のリーダーとなり、その話を聞きつけた日本一の植木職人・丹羽政光が手伝いをも申し出てくれ、さらにダムの建設を請け負ったまま7年も仕事の来なかった間組が桜の運搬を請け負ってくれた。

 「100%失敗すると言われたプロジェクト」によって移設された桜は「荘川桜」と呼ばれたが、移設の翌年の春は芽を出さなかった。だれもが諦めていた桜だったが、5月連休明けにわずかに芽吹いた芽を国鉄バスの車掌が見つけることになる。

 移植から50数年がたった今でも、荘川桜は満開の花を咲かせている。

 かなり長い引用となってしまったが、人の想いの強さは人を動かして奇跡を起こすという、とても素晴らしい話だなと思った。やはり「みやざき中央新聞」の記事を読むと元気が出る。

■「想い」は伝播し人を動かす

 「想い」という言葉を辞書で引くと、「考え、思慮、希望すること、願い」という意味が出てくる。言葉としてはそういった意味だと思うが、個人的にはそれ以上に強いものが込められているように感じる。

 さらに「純粋な想い」というものには人の心を動かす何かがあり、理屈や損得ではなく、人の心を動かして行動させる力があると思う。さらに、人の心を動かすほどの「純粋で強い想い」というものは、心を動かされた人を通じて次々と伝播していくものだとも思う。

 だからこそ、純粋で強い想いというものは多くの人を動かし、前述の「荘川桜」のように後世まで伝えられる偉業として残るのではないだろうか。

 私自身もいろいろな商品開発やサービス開発などに携わっているが、生産者や作業者の想いが込められた商品に出会うと身体が止まってしまう。理屈ではなく直感的に「良い品物だ」と感じたものというのは、調べてみると何かしらの想いが込められており、商品自体に物語が流れている。

 物はそれ単体を見ると単なる物だが、そこに込められた「想い」が強いほど一種独特の念を放っているような気がする。別にオカルト的な話をしている訳でもなく、そういったことを信奉している訳でもなんでもないが、「想い」は感じるものだとは思う。

 また、「強い想い」で仕事をしている人には他人を惹きつけるオーラのようなものがあり、それを感じた人々がサポートせずには居られない状態になることがある。いわゆる「カリスマ性のある人」というのは、少なからずそういった「想い」をまとっているのではないだろうか。

 私もそういう人になりたいと思う。そのためにも、ひとつひとつの仕事に「想い」を込めて真剣に取り組んでいきたい。