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ゆったりとした時間が流れる推理小説/「クラーク巴里探偵録」(三木笙子)

 温かい気持ちになる本を中心に読んでいるが、推理小説も大好きでいろいろな作家さんの本を読む。そうなるとどうしても同じ作者の本を読んでしまいがちだが、初めて読む作家さんの本に胸がときめくことがある。今回読んだ一冊は、そんな心ときめく物語だった。

■明治時代の巴里で繰り広げられる物語

クラーク巴里探偵録 (幻冬舎文庫)

  今日ご紹介するのは三木笙子さんの「クラーク巴里探偵録」という一冊。明治時代のパリを舞台として、二人の男性が様々な謎を解いていく推理小説だ。 

内容(「BOOK」データベースより) ヨーロッパを巡業中の曲芸一座で、敏腕の番頭として名高い孝介と料理上手の新入り・晴彦。裕福な贔屓客から頼まれ、ストーカー退治や盗難事件の解決など厄介事の始末に奔走する日々を送っていた。華やかなパリで生きる人々の心の謎を解き明かすうちに、二人は危険な計画に巻きこまれていく。人の温もりと儚さがラストを彩る連作短編ミステリ。

  曲芸一座の敏腕番頭である孝介と一座への新入りで料理上手な晴彦が、明治時代のパリで数々の謎に挑んで行くという物語。ポルターガイストの謎やストーカー事件の謎などを解きながら、孝介と晴彦自身の謎を解いて行くという連作短編という形をとっている。

 明治時代のパリという時代設定が丁寧に描かれているのもこの物語の魅力のひとつで、未だに行ったことのないパリであり、さらに明治時代のパリという時空を超えた場所の様子がふんわりと頭の中に思い浮かんでくる。

 推理小説として出てくる数々の謎は、どれも人の心の中にある哀しさと優しさを含んでいて、謎が解かれるたびに心の中にじんわりと温かいものが流れる。物語全体を通じて描かれている孝介と晴彦自身の謎に関しても、 人生の厳しさや哀しさを含みながらも、人の優しさと温かさを含んでいる。

 物語の最大の謎である孝介と晴彦との関係は最終話で明らかになるが、各短編で張られた伏線が絶妙で、物語の最後に明かされる謎にハラハラしながらも人の心の温かさを感じることができる。

 この物語全体に流れているのが「人生の厳しさ」と「人の心の哀しさと優しさ」、そして「人の心の温かさ」だ。だからこそ、読了した時には心の中がほんのりと温かくなり、優しい気持ちになれるんだと思う。

 登場人物の会話やストーリー展開のテンポも良く、スラスラと読んで行ける軽やかな物語だった。休日にゆったりと読んだり、仕事から帰ってから寝る前にノンビリと短編を楽しむという読み方も似合うかもしれない。

 三木笙子さんの作品は初めて読んでみたが、読み進めて行くうちに気持ちを心地よく解きほぐしてくれる物語だった。これからもひとつずつ読み進めてみようと思う。

■本を買うというのは一種の冒険

 推理小説といえば、1841年に出されたエドガー・アラン・ポーの短編小説「モルグ街の殺人」が世界初の推理小説といわれている(諸説あるが)。私の世代でいえば、江戸川乱歩や松本清張などの推理小説を読んできただけに、推理小説といえば残酷な事件や悪の心を持った犯人が出てくるというイメージがある。

 しかし、今回ご紹介した「クラーク巴里探偵録」では登場人物は普通の人々で、普通の生活をしている中でどうしようもなく事件の犯人になってしまうという点が読んでいて好感を覚えた。

  もちろん、殺人や非道な詐欺などを扱った推理小説を読むのが好きな方もいるだろうし、こういった温かい気持ちになれる推理小説を好きな方もいるだろう。楽しみ方は人それぞれであり、様々だということだと思う。

 大切なのは「自分に合った推理小説」を探すことだと思うが、そのためには色々な作家さんの本を読んでみるということも大切ではないだろうか。

 しかし、本を買うというのはある意味では冒険のような要素もあって、本好きの人なら誰しも「買って損した」と思うような物語に出会ったことがあると思う。私も書店のポップや本の裏書きを読んで買ってはみたものの、結局はすべて読み終わることなく本棚に仕舞ったり売却してしまった本は数しれない。

 また、新聞の書評で評判が良かったので買ってみたけれども、読んでみたら自分には合わなかったという本もある。最終的には「読んでみないと分からない」ということになってしまうが、だからといって今まで読んだことのない作家さんの本や新たなジャンルに手を出さないというのはもったいないことだと思う。

 読んでみて面白くなければそれも経験になるし、そんな経験があるからこそ自分にピッタリ合った本に出会うと無性に嬉しくなる。そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自他ともに認める本好きになってしまうのではないだろうか。

 私はこれからも「自分のカンと度胸」でいろいろな本を選ぶという、一種の”知的冒険”を楽しんでいきたいと思う。